"文章でストーリーを読むこと。電子だろうが紙だろうが海外雑誌の魅力はいまなおここにある。アプリのインターフェイスやインタラクティヴな機能がいくらカッコよくても雑誌を買い続ける動機にはならない。あるストーリーを「読む」価値があると思うからお金を払うのだ。少なくともぼくはそうだ。面白いテキストに出会う満足感は、動画や音を通して得られるそれとはまったく異なる。「聴く」や「観る」と比べて「読む」というのは際立って能動的な行為だ。そして、ときに、それはスピードという点においても動画や音を凌駕する。1時間のインタヴューを理解するのに、「観る」のと「読む」のではどっちが速いかを考えてみればいい。テキストは容量に対するスピードという点で、いまだに(いまこそ)多くのメリットをもっている。
残念ながら日本では、こうしたストーリーにお目にかかる機会がめっきり少なくなってしまった。雑誌も本も「物語」ではなく「情報」を扱うメディアになってしまったからだ。雑誌だけではない。ある時期から、あらゆるメディアがひたすらカタログ化の一途をたどった。そして、ほどなくインターネットが到来し、それはいとも簡単に駆逐されようとしている。"
残念ながら日本では、こうしたストーリーにお目にかかる機会がめっきり少なくなってしまった。雑誌も本も「物語」ではなく「情報」を扱うメディアになってしまったからだ。雑誌だけではない。ある時期から、あらゆるメディアがひたすらカタログ化の一途をたどった。そして、ほどなくインターネットが到来し、それはいとも簡単に駆逐されようとしている。"
— 電子デヴァイスは、新しい「ストーリー」を生むか – 読むが変わる【1】 from 『WIRED』VOL.2 « WIRED.jp 世界最強の「テクノ」ジャーナリズム